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まじでこのチャンネル最高すぎるトークも面白い
thx!!
ありがとうございます!
ご支援まことに感謝でございます!!あな嬉しや!!!
資源的に見ると当時重要だった銅、塩、鉄を諸侯王(特に呉)が握っていたのが反乱の大きな要因になったと思いますね。そういう意味では文字通り塩鉄論が出た辺りから漢王朝が統一王朝として形作られた感じがします。
Thanks!
感謝……圧倒的感謝でございます……!!いつも励みになっております!!
起こるべくして起き、負けるべくして負けた乱ですねぃ。ですが、反乱が成功していたら諸侯諸王の力が強い不安定で塞外の異民族の影響も強く受ける状態が続いたかもしれないのですねぇ。
呉楚七国の乱って、漢帝国にとって「災い転じて福と為す」感があるね。
王族に力がありすぎすると呉楚七国の乱や八王の乱みたいなこと引き起こすし、削ぎすぎると外戚や宦官が専横したときに対抗できないし、いい塩梅というのが難しそう
@user-cz3cm1ht8m 13世紀を「早い」といわれてもなw
呉楚七国の乱には詳しく無かったので、大変勉強になりました。王朝の黎明期にはやはり大乱が有るものですね。日本でも源平鎌倉や室町南北朝、大坂の陣等の大乱が有りますが江戸幕府は本当に統治に成功した政権だったと思います。(島原の乱が有りましたが…😅)
不思議なのは大名が反乱を起こさなかったことだよね🤔参勤交代の影響か
@@heiho_ita 様いや本当それ不思議ですよね🧐やはり旗頭に成れる人物が居なければ、単独では難しいですよね。伊達政宗が良い線行ってたけど豊臣旧臣を纏めれるとは思わないし😅返信ありがとうございました😊
@GF8EWRX 様いわゆる 鉢植え政策 ですよね😊
かつて鳥人間さんが"文景の治"の動画で語っていた通り、景帝治世期から徐々に権臣の命が軽んじられる様になっているのがよくわかります。そして次代はあの怪物の時代…
巫蠱の禍がこのチャンネルで見れる…🤔
ヨブ・トリューニヒト人間と中国史の時間にお会い司馬遷とさような羅漢中がツボった。横山版史記でスポットライトを浴びてた袁オウがあまり出なかったのが以外だった。
あの出っ歯の人ですよね😅袁紹、袁術と関係有るのかな?🤔
@@cainabel4909 このコメントを閲覧した者です。史記【横山光輝版】から来ましたね。グッと来ましたね🎵
馬謖を、斬る悲哀ス
時代の流れ通りの解説は非常に燃えるね❗️いつも楽しく拝聴しております
身内の力を削ぎすぎると外に備えられないし、力を与えすぎると内輪揉め、という。。。
諸侯王達の大反乱も、たった3ヶ月で呆気なく決着。多くの一般民衆にとっては、自分達とは関係ない争いだったことも大きかったみたいですね。現代でも、殺傷事件の半数以上は家族や親戚同士だそうですが、近い関係ほど利害や憎悪が絡んで喧嘩になりやすいようです。
数年前に大きな神社の後継者争いで殺人事件が起こった事がありましたね
教科書に出てたこの乱がスケールの大きい物だったとは知りませんでした。
地図を見ても、長安から黄河の水運を使える官軍に対して呉から梁が遠いのがわかりますね。反乱軍の勝機は早急に洛陽を陥とすしかなかったですね。
斉王劉将閭も反乱に加わらずに諸侯王と戦をしていましたが中立と言っていたのでそのことを責められると思い服毒したんですよね
基本的には中央集権の方が国を安定させられるけど幼帝が続いたり一人のやべえ奴がいると一気にひっくり返るリスクがある。じゃあ分権がいいのかってなるとそうでもないから大国の統治というのは本当に難しい
だから科挙で優秀な官吏が必要だったのかもね
曹魏も西晋もその滅亡原因は親族の冷遇・優遇というよりも、君主が滅亡の種が育つのを止めなかった・止められなかった事の方が大きい気がするね。
長期にわたる統一王朝というものに先例というものがないから手探りだったんだな後世からはグダグダに見えても当人たちは必死だったんだろうな
中国は広大ですからね😅本当に統治は難しい問題ですよね😊
だいたい、王朝統治の完成形が出来上がるのは近代になった頃だよね。そして、民主政治の概念が出てきた事で時代遅れになって消えていく……
呉楚七か国の乱を知らなかったので大変勉強になりました。なぜいつも動画が分かりやすいなかなぁ疑問に思っていたのですが、単に起きた事を伝えているだけじゃなく、解説があるからかなぁ。今回の反乱も、反乱側から見れば当然だとすぐに理解できます。わかりやすい解説があると理解が早いのだと思いました。いつも素晴らしい動画ありがとうございます。これからも頑張ってください。
当然だけど文帝の凄さって内政もそうだけど、こう言う身内の反乱とかその危険性を抱えても漢王朝を繁栄させたところだと思う。
呉楚七国の乱の動画、楽しく拝見させてもらいました。この乱の経緯を見てると情報と補給の大切さ、戦略として「相手の補給線を絶つ」ことの重要性がわかりますよね。
ヨブ・トリューニヒトのことは全く知りませんでした。今調べて勉強になりました。
銀河英雄伝説は中国史好きの必修科目だよw
私を知らないわけが無いだろう君たちの国家元首だよクーデター騒ぎが収まるまでここにいる地球教徒の皆さんが匿ってくれたんだよ
まあ、銀河英雄伝説の登場人物という、架空の存在ですから。……キャラクター造形のモデルになった歴史上の人物はいそうだけど。
竇嬰→後漢に実験を握る竇氏の先祖袁盎→ご存知の通り袁紹の先祖 以上のことから見ると、漢王朝は初期段階から、外戚の力が強くなっていったことがわかる
袁氏はすごいですねぇ。唐の宰相でも袁煕の子孫がいましたしね。
漢王朝は後継者がとにかく若い10代で即位するのもザラだから、自前の臣下等いるはずもなく外戚しか頼るものがいなかったって事情はある
最初の異姓諸侯王の時の郡国制の地図が、戦国時代の地図とすごく被る気がしました
6:06 魏延「こんなん言いがかりやんけ(憤り)」
まあ、魏延が肝心なところで主君を裏切って(しかも自ら主君を殺している)劉備側についたのは事実だからなあ。蜀漢に対しては忠実だと思うけど、裏切った前科があるので、そういう待遇になるのはしょうがない。張遼などのように、最後まで主君と共に戦って、主君の死後に降伏するのとはまた性質が違う。
次は呉楚七国の乱から危機を脱して大繁栄を迎えた漢王朝とは逆に破滅、大混乱を招いた晋王朝の八王の乱の解説も極力細部まで詳しく是非お願いします。
八王の乱ややこしいですよね😊
中国ドラマの「漢武大帝」は武帝の一生を描いた長編ドラマ かなりの話数を使って呉楚七国の乱と景帝の治世を扱ってて結構面白かった。
秦が急激に郡県制にして反乱起きたのを、漢は段階的に郡県制にしていったのかな。意識してじゃなく結果的にだろうけど
うーむ…呉王の臍曲げに"大義名分"を与えてしまった事といい、集権化を急ぎ過ぎて鼂錯の暴走を止められなかった事といい、周亜夫の末路といい、なんか景帝は名君と呼ぶにはイマイチな感がするんですよね…あと、"報恩も報復もフルパワー"の欒布が勝ち組だったとは…
今日、イカロスの墜落流しながら「 80万の大軍よ、我に続け 」とか「 天よ、我に味方したまえ 」とか色々叫びながら街中を走り回るという兵隊ごっこをやってきましたなんだか天下を取れそうな気分になりました
異姓王の排除で劉氏の結束を高めようとした結果、逆に各王の連帯感を高める結果になってしまう。政治は前より何がマシかで発展していくけれど、難しいものですねえ。
反乱した側だけでなく反乱を鎮圧した側も不幸な最期を遂げた人ばかりなのは悲しいなあ
他のゆっくりと比べてこのチャンネルの霊夢と魔理沙は可愛くて癒されます
ご支援いただき、まことにありがとうございます……!二人のやり取りを楽しんでいただけて、本当に嬉しく思います~!!
日本でも江戸幕府は難癖を付けて有力外様大名を取り潰し直轄地を増やしたが結果的に浪人を増やし由井正雪の乱未遂事件が起きた。諸侯を追い詰め過ぎると痛い目に合う。
最初の方で実子、松平忠輝の高田藩を取り潰したのが諸藩の見せしめに成ったと思います😉 後、徳川(松平)忠長も…😅
もし漢(後漢)をする時に十常時のメンバー全員の解説をリクエストします。
「巧言令色鮮し仁」のヨブ・鳥ューニヒト!
キター!!
やっぱり、戦国七雄の価値観・気風が残っていたのかもしれないですね。ただ、呉楚七国の乱が平定されて良かった。これよりもっと酷い「八王の乱」がありますからね。
鳥ューニヒトの提供なら反乱が起こっても仕方がないな!っていうか、運が良かった司馬一族が立てたのが漢王朝みたい
欒布がこの当時もまだ健在だったことに驚き。彭越の粛正から既に40年以上経っているぞ
劉氏以外の有力諸王が高祖恵帝期にあらかた滅んで呉楚七国の乱で厄介な劉氏王も消えたのは漢帝国にとっては好事ではあった前漢絶頂期である武帝治世への流れは確定的に
でも、任地を発展させよう富ませようと言うモチベーションが上がらない郡県制よりも、郡国制の方が良い…という意見もあったような。
劉邦が単体の動画で出てきてないのにもうこの時代まで来てますね…諸侯王を削減する場合は1番大きな勢力から削ろうという教訓が得られました。後の明王朝の靖難の変の時も諸侯王の中で1番強力な燕王を放置してしまったが為に負けてしまった。
@GF8EWRX 所詮温室育ちの嫡皇孫というだけのお坊ちゃんだった。
跡継ぎに孫を選んだり、孫の器量に期待した王朝は必ずと言っていいほど内乱や外戚の禍で混乱しますよね…。明の場合は永楽帝を跡継ぎにして洪武帝の名で「甥の家の者を死罪にしてはならない」という内容の金書鉄券を出しておけばまだ良い結果に終わったのかも知れません。
動画ありがとうございます。古代の時代は例外なく暴力でことを解決するというケースが多いですよね。近代もそういう時代ですけど、古代は別の意味でそうした状況かと。しかし、景帝がたかがゲームで劉賢を殺してしまうというのはすごい話です。古代でか酒に酔っていたとはとは言え。
まぁ葉隠にも囲碁してたら殺し合いになったみたいな話ありますしね…
@@matukawatositane ほう、葉隠にですか。時代は近世だからそれは相当すごい話ですね。ただ、処罰なり処分はそれなりにされたのですか?
酒に酔っていたでは済まされませんよね😨
現在でもゲームが原因でリアルファイトって割とあるし、血の気が多かった時代ならそこまで異常でもないかと
@@fox37812 様桃鉄…🤭
呉楚の反乱軍が睢陽攻略に拘った理由として秦末から楚漢戦争期では攻城戦が起きる度に落城していた為、半世紀経っても容易に落とせると判断した事。つまり、呉王劉濞は楚漢戦争の常識で反乱を指揮していました。(彭越が項羽相手にゲリラ戦を仕掛けて成功したのは、昌邑や睢陽が秦の時代に城壁が壊されており、項羽に攻め落とされても項羽が居なくなれば容易に取り戻せた)楚漢戦争に勝利した劉邦は城壁を修復して防備を固め、王朝を守る藩屏として皇族を王として各地に配備しました。秦の強固なれど極端な中央集権体制を見直し、柔軟で強力なものに改造しています。また、反乱軍を迎え撃った周亜夫は洛陽の侠客、劇孟と会った時 反乱軍が劇孟と連絡を取っていないと知ると安堵する一方で反乱軍の戦略のお粗末さを嘲笑しています。
劉濞…内政は抜群に優秀だけど戦争となると大局観がビックリするほどなかったのね。ハッ!!もしや…!中央集権を進めるために自ら犠牲になって…。みたいな妄想をしてしまったw
劉氏が天下が統一した後も争いに次ぐ争いで忙しいですね次はとうとうあの武帝の時代なので楽しみです。
武帝時代の動画は既に挙げられていますよ。
欒布も、息子の欒賁の代で爵位を取り上げられてますね。
地方統治制度の王朝による違いが興味深かった
時代的に今ほど多くは居なかったが、男性のほとんどが出ていたという銀河英雄伝説
晁錯は有能でしたが、処世術が駄目でしたね、足元を救われて自身を滅ぼしてしまった。法を厳格にするのは正しい事ではあるが、でもある程度の加減は必要ですからね。それを理解出来ずに結局処刑されてしまった。
楽しみ
武帝末期に起こった巫蠱の獄もやるのですか。
反乱を起こすもやはり器では無いと言う事ですね。
晁錯の処刑は、反乱軍の大義名分を潰すことにはなったので、心理的には意義のある行動だったと思います。切り捨てられる方からすれば、理不尽な話ですが。
この反乱を早期に鎮圧できたのが、秦や西晋との差なんですかね。鎮圧に失敗して統一王朝は衰退、反乱軍も内紛で分裂してそのうち劉氏以外の有象無象も現れて乱世に突入とか、普通にありそうなシナリオですし。あと鳥人間ネタですがヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダーというスペインの戦列艦がまだ出ていない気がしますので推挙します。
「はえ~漢王朝は身内同士で争って大変やったんやなぁ。まぁ、朕の明王朝はそんな反乱とは無縁やろうし大丈夫やろなぁ」
さすが陛下,陛下の築いた道は高僧のように光輝いておりまする
トリューニヒト。生き延びてしまったほうが、いろいろ考えさせられる傑作になった、んじゃないかなあ。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている六博をしていたら劉賢が卑怯なインチキをしたので眉間に盤を叩きつけてやった眉間から血を流して動かなくなったので「お前が悪いのだ!」と言って逃げた
夏目漱石の坊っちゃんで草
些少ですが、お納めください。
ご支援まことにありがとうございます……!大変励みになります……!!
なまじ20万もの大軍を動員してしまった上に、一つの戦場に集中したばかりに兵站の負担が重すぎた。そこにファビアン戦術がぶっ刺さる。
今回のお話の教訓:嗚呼危き哉、栄達への道。
呉楚七国の乱がもし成功していたら、きっと八王の乱であっけなく滅んだ晋王朝みたいに漢もなってて、五胡十六国時代みたいになっていたかもしれない、そうなると司馬遷の史記も生まれなかったという事を考えると、この反乱が失敗して良かった、と思いますね。
呉楚七国側の戦略がまずかったのはまともな実戦経験のある将帥や兵卒が殆どいなかったのも大きいんだろうな
晁錯 は諸侯王だけではなく朝臣達にも憎まれており、処刑したことで反乱を納めることはできなかったものの、参加者が増えるのを食い止める効果はあったといわれています。
鳥人間さんはヨブ・トリューニヒトだったのか…
内容と関係無いですが、旧版のトリューニヒトを出されるとはup主さんも渋いチョイスされますね(笑)
呉楚七国の乱は中国史ファン歴の浅い自分からするとまだまだ難解であります。ただ今後、このわけわからん状態を多角的に捕らえ、理解が深まっていく楽しみがある…と思うのです!
やっぱり、劉邦や朱元璋のような初代で能力が高い皇帝でない限り皇帝を支える優秀な官吏がいるよね。科挙やる理由がわかった😃
ゲームで負けそうになると現代では回線切断。漢代は相手を殺す。負ける側がやることは2000年たっても変わらないですね(!?)
ご支援ありがとうございます!!怒りをコントロールすることは人間にとっての永遠の課題なのかもしれませんね!
捉え方によっては、景帝って何というか、「ババ」を引かされた感じがあります。勿論、若かりし頃の劉啓坊ちゃんが、呉の太子(劉賢)をつまらない理由で死に至らしめた事も遠因ですが、強大過ぎる諸侯國に対し、先代の文帝は結果として、いわば「先延ばし」にしてしまった感がありました。(文帝自身も諸侯國の一つ「代王」の出身)チョウソのやり方には問題はありましたが、これは全て景帝の承諾を得てからやった事でもありますし………(日本で言えば、室町幕府における守護大名みたいなもので、足利義教の殺害後、収拾がつかなくなった事を考えると、間違いとは言いきれませんな)
中央集権に最適な官吏の集め方が科挙というわけですね。
トリューニヒト人間、だと……。私、こちらのチャンネル大好きなのにぃ
呉王の世子を撲さつしたり周亜父に嫌がらせしたり、結局景帝も昏君武帝同様に、文帝の遺産を食いつぶしただけの暗君と思わざるを得ない。
そうかな?呉楚七国の乱を起こしてしまったとはいえ結果的に中央集権進むことになったし皇帝権力も強化されたから暗君ってほどではないと思う
巧言麗色ヨブ:鳥ューニヒト出てきたら、広告、銀英伝でしたわ😆
昔の政治のシステム上その国のトップが怖いのは、外敵よりも身内の方が厄介なんだよね・・・。血を分けた兄弟でも権力争いが絡むと高確率で・・・。
帝位継承の正統性を持っていたりするからね。〈血を分けた兄弟
漢王朝初期の中央集権化が無ければ統一中華王朝という概念が無く、ヨーロッパみたいに諸国が割拠したまま現代に突入したんだろうな
ヨブ・トリューニヒト…自らの福利厚生の為なら、まともな判断すら厭わない恐ろしい男…!
欒布は前145年に亡くなった見たいですが友人の彭越の処刑から51年も経ってるんですねそう考えるとこの人は前漢の建国時辺りで名前残ってる人達の中でも一際若かったのかな仮に彭越処刑時点で30前後だとしたら没年は80くらいですが70代で呉楚七国の乱鎮圧の軍率いるのはなかなか無理あるような
「今日の皇帝明日の乞食年が明ければ儂の番」by孫悟空(岩波文庫版)
中央の家臣団の末路を見てると、中央集権が安定したから思いっきり内部で権力闘争できるようになったんかな(笑)って印象。
ランフとか言う良心
中国を史上初めて統一したのが始皇帝、中国の統一を史上初めて定着させたのが景帝というわけね(乱の原因も景帝だけど)。
郡国制って日本でいう徳川幕藩体制なんだけど中国が古代で捨てたこの中途半端な体制でも近世の時代に300年余りやれたのはやはり外敵を防ぐ海の存在は大きいという事なんでしょうね
それと仮想敵と味方の配置の妙と、何かあったらすぐにお取りつぶしという各個撃破のお陰かな?
@@coldexp7189 この辺りの弱体化策も上手く働いたのもありますねただ幕末期西洋諸国の海軍力が強大になった事で海という自然の要害が意味を成さなくなると開国から僅か15年余りで幕府が滅亡してるのでやはり幕藩体制は領土の四方を囲む海あってこその体制だったと思います
今、私がここに書き込んでいると言うことは、ビールを片手に休日ということです。さあ楽しい楽しい中国史の時間ですよ!
八王の乱みたいな大乱よく乗り切れたと
目がはなせない。
呉楚七国の乱は皇帝と諸侯王とのはっきりした戦いだったんですが司○氏の八○の乱みたいに泥沼にならずに済んで良かったですね^^さすがは景帝へ後の事を考えてアドバイスをした文帝と聞き入れた景帝はやはり名君ですね。
中国史のチャンネル見ててトリューニヒトの名前が出てくるとは…
僕なりに「とり」を考えました。(被ってたらすみません。)トリタン棒イットリウムトリアーインベントリ国盗物語トリックルームstd::string服部半蔵トリケラトプスアントリオン
追加です。サントリープレミアムモルツ取り敢えず生で水酸化ナトリウムちりとりトリポリ
漢の身内の内乱は何とか抑えたけど、晋の司馬一族は外国勢力を入れたからねぇ・・
ほぉ~(゜ロ゜)💨かなりのデカイ反乱でしたね( ゚ロ゚)!!でも、3ヶ月で鎮圧されるとは( ゚д゚)ポカーン
そら董卓が出て来たり曹操が出て来て実感握るわ。三国志の勝者司馬懿や司馬炎は、過去から学ばなかったのか?あるいは、学んでも人の業は変わらず歴史は、繰り返す運命なのか。悲しいなぁ〜。
なるほど、本当に劉氏対劉氏の身内の争いだったんですね。てっきり呉と楚の反乱に乗っかったのかと思ってました。結局劉氏が倒されて、劉氏だけが得をしたという、功臣皆殺しの始まりだったとは。やっぱり中華史はスケールがでかい。
この時の中山靖王はどうだったのでしょう(笑)
睡陽、上州上田城かよ。
中国史は良くも悪くも、同じ様な大きな戦いを繰り返すますね。関中の強国である秦と他の列国との戦い、関中をを拠点にした漢と項羽の楚漢戦争、そして今回の呉楚七国の乱。そして明の建文帝と叔父の燕王朱棣との靖難の変。二十世紀の毛沢東と蒋介石の戦いもそうですね。戦国の七雄が、二大英雄が、朝廷と諸侯王が、中華の覇権と皇帝の地位を巡って何年も続く大戦争を起こす。今回の呉楚七国の乱は戦略的にも戦術的にも、あまりにも稚拙で本当に勢いで反乱を起こし、大した戦略も無く攻めて行っただけ。せめて桓将軍の戦略を採用して置けば、わずか3ヶ月で鎮圧されるという事にもならなかったですね。この時代からずっと後の明時代の靖難の変での燕王朱棣はさすがでしたね。明の朝廷側の方が兵士の数でも圧倒的に有利で燕王側の方が断然不利なのに勝利してしまうんですから。戦争はやっぱりトップの器で決まるんですね。呉楚七国の乱では、部下の将軍が、せっかく素晴らしい献策をしてくれたのに採用しない。もうここで呉王劉濞は終わってますね。そして漢の朝廷の鎮圧軍が戦略的にも戦術的にも軍隊の練度でも、最高のプロと平凡なアマくらいの差がありましたね。攻めなくてもいい城郭都市を攻め続け、その間に軍隊のライフラインである糧道を絶たれて、自滅する。やっぱり「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」と言ったビスマルクの言葉がグサグサ刺さった呉楚七国の乱でした。
鳥人間=ヨブ!?(敬称略)
景帝は徳が文帝に遥かに及ばない。景帝が名君との歴史的評価を守れた理由は、立派な父と優秀な息子の両方がいたからです。
ほんと劉備なのか魏延の反骨相もってるのかわかんねえな劉濞
まじでこのチャンネル最高すぎる
トークも面白い
thx!!
ありがとうございます!
ご支援まことに感謝でございます!!
あな嬉しや!!!
資源的に見ると当時重要だった銅、塩、鉄を諸侯王(特に呉)が握っていたのが反乱の大きな要因になったと思いますね。そういう意味では文字通り塩鉄論が出た辺りから漢王朝が統一王朝として形作られた感じがします。
Thanks!
感謝……圧倒的感謝でございます……!!
いつも励みになっております!!
起こるべくして起き、負けるべくして負けた乱ですねぃ。
ですが、反乱が成功していたら諸侯諸王の力が強い不安定で塞外の異民族の影響も強く受ける状態が続いたかもしれないのですねぇ。
呉楚七国の乱って、漢帝国にとって「災い転じて福と為す」感があるね。
王族に力がありすぎすると呉楚七国の乱や八王の乱みたいなこと引き起こすし、削ぎすぎると外戚や宦官が専横したときに対抗できないし、いい塩梅というのが難しそう
@user-cz3cm1ht8m 13世紀を「早い」といわれてもなw
呉楚七国の乱には詳しく無かったので、大変勉強になりました。王朝の黎明期にはやはり大乱が有るものですね。日本でも源平鎌倉や室町南北朝、大坂の陣等の大乱が有りますが江戸幕府は本当に統治に成功した政権だったと思います。(島原の乱が有りましたが…😅)
不思議なのは大名が反乱を起こさなかったことだよね🤔参勤交代の影響か
@@heiho_ita 様
いや本当それ不思議ですよね🧐
やはり旗頭に成れる人物が居なければ、単独では難しいですよね。
伊達政宗が良い線行ってたけど豊臣旧臣を纏めれるとは思わないし😅
返信ありがとうございました😊
@GF8EWRX 様
いわゆる 鉢植え政策 ですよね😊
かつて鳥人間さんが"文景の治"の動画で語っていた通り、景帝治世期から徐々に権臣の命が軽んじられる様になっているのがよくわかります。
そして次代はあの怪物の時代…
巫蠱の禍がこのチャンネルで見れる…🤔
ヨブ・トリューニヒト人間と中国史の時間にお会い司馬遷とさような羅漢中がツボった。
横山版史記でスポットライトを浴びてた袁オウがあまり出なかったのが以外だった。
あの出っ歯の人ですよね😅
袁紹、袁術と関係有るのかな?🤔
@@cainabel4909 このコメントを閲覧した者です。史記【横山光輝版】から来ましたね。グッと来ましたね🎵
馬謖を、斬る悲哀ス
時代の流れ通りの解説は非常に燃えるね❗️
いつも楽しく拝聴しております
身内の力を削ぎすぎると外に備えられないし、力を与えすぎると内輪揉め、という。。。
諸侯王達の大反乱も、たった3ヶ月で呆気なく決着。多くの一般民衆にとっては、自分達とは関係ない争いだったことも大きかったみたいですね。現代でも、殺傷事件の半数以上は家族や親戚同士だそうですが、近い関係ほど利害や憎悪が絡んで喧嘩になりやすいようです。
数年前に大きな神社の後継者争いで殺人事件が起こった事がありましたね
教科書に出てたこの乱がスケールの大きい物だったとは知りませんでした。
地図を見ても、長安から黄河の水運を使える官軍に対して呉から梁が遠いのがわかりますね。反乱軍の勝機は早急に洛陽を陥とすしかなかったですね。
斉王劉将閭も反乱に加わらずに諸侯王と戦をしていましたが中立と言っていたのでそのことを責められると思い服毒したんですよね
基本的には中央集権の方が国を安定させられるけど
幼帝が続いたり一人のやべえ奴がいると一気にひっくり返るリスクがある。
じゃあ分権がいいのかってなるとそうでもないから
大国の統治というのは本当に難しい
だから科挙で優秀な官吏が必要だったのかもね
曹魏も西晋もその滅亡原因は親族の冷遇・優遇というよりも、君主が滅亡の種が育つのを止めなかった・止められなかった事の方が大きい気がするね。
長期にわたる統一王朝というものに先例というものがないから手探りだったんだな
後世からはグダグダに見えても当人たちは必死だったんだろうな
中国は広大ですからね😅
本当に統治は難しい問題ですよね😊
だいたい、王朝統治の完成形が出来上がるのは近代になった頃だよね。
そして、民主政治の概念が出てきた事で時代遅れになって消えていく……
呉楚七か国の乱を知らなかったので大変勉強になりました。なぜいつも動画が分かりやすいなかなぁ疑問に思っていたのですが、単に起きた事を伝えているだけじゃなく、解説があるからかなぁ。
今回の反乱も、反乱側から見れば当然だとすぐに理解できます。
わかりやすい解説があると理解が早いのだと思いました。
いつも素晴らしい動画ありがとうございます。これからも頑張ってください。
当然だけど文帝の凄さって内政もそうだけど、こう言う身内の反乱とかその危険性を抱えても漢王朝を
繁栄させたところだと思う。
呉楚七国の乱の動画、楽しく拝見させてもらいました。
この乱の経緯を見てると情報と補給の大切さ、戦略として「相手の補給線を絶つ」ことの重要性がわかりますよね。
ヨブ・トリューニヒトのことは全く知りませんでした。今調べて勉強になりました。
銀河英雄伝説は中国史好きの必修科目だよw
私を知らないわけが無いだろう
君たちの国家元首だよ
クーデター騒ぎが収まるまでここにいる地球教徒の皆さんが匿ってくれたんだよ
まあ、銀河英雄伝説の登場人物という、架空の存在ですから。
……キャラクター造形のモデルになった歴史上の人物はいそうだけど。
竇嬰→後漢に実験を握る竇氏の先祖
袁盎→ご存知の通り袁紹の先祖
以上のことから見ると、漢王朝は初期段階から、外戚の力が強くなっていったことがわかる
袁氏はすごいですねぇ。唐の宰相でも袁煕の子孫がいましたしね。
漢王朝は後継者がとにかく若い
10代で即位するのもザラだから、自前の臣下等いるはずもなく
外戚しか頼るものがいなかったって事情はある
最初の異姓諸侯王の時の郡国制の地図が、戦国時代の地図とすごく被る気がしました
6:06 魏延「こんなん言いがかりやんけ(憤り)」
まあ、魏延が肝心なところで主君を裏切って(しかも自ら主君を殺している)劉備側についたのは事実だからなあ。蜀漢に対しては忠実だと思うけど、裏切った前科があるので、そういう待遇になるのはしょうがない。張遼などのように、最後まで主君と共に戦って、主君の死後に降伏するのとはまた性質が違う。
次は呉楚七国の乱から危機を脱して大繁栄を迎えた漢王朝とは逆に破滅、大混乱を招いた晋王朝の八王の乱の解説も極力細部まで詳しく是非お願いします。
八王の乱ややこしいですよね😊
中国ドラマの「漢武大帝」は武帝の一生を描いた長編ドラマ
かなりの話数を使って呉楚七国の乱と景帝の治世を扱ってて結構面白かった。
秦が急激に郡県制にして反乱起きたのを、漢は段階的に郡県制にしていったのかな。意識してじゃなく結果的にだろうけど
うーむ…呉王の臍曲げに"大義名分"を与えてしまった事といい、集権化を急ぎ過ぎて鼂錯の暴走を止められなかった事といい、周亜夫の末路といい、なんか景帝は名君と呼ぶにはイマイチな感がするんですよね…
あと、"報恩も報復もフルパワー"の欒布が勝ち組だったとは…
今日、
イカロスの墜落
流しながら
「 80万の大軍よ、
我に続け 」とか
「 天よ、我に
味方したまえ 」
とか
色々
叫びながら
街中を
走り回る
という
兵隊ごっこを
やってきました
なんだか
天下を取れそうな気分に
なりました
異姓王の排除で劉氏の結束を高めようとした結果、逆に各王の連帯感を高める結果になってしまう。政治は前より何がマシかで発展していくけれど、難しいものですねえ。
反乱した側だけでなく反乱を鎮圧した側も不幸な最期を遂げた人ばかりなのは悲しいなあ
他のゆっくりと比べてこのチャンネルの霊夢と魔理沙は可愛くて癒されます
ご支援いただき、まことにありがとうございます……!
二人のやり取りを楽しんでいただけて、本当に嬉しく思います~!!
日本でも江戸幕府は難癖を付けて有力外様大名を取り潰し直轄地を増やしたが結果的に浪人を増やし由井正雪の乱未遂事件が起きた。諸侯を追い詰め過ぎると痛い目に合う。
最初の方で実子、松平忠輝の高田藩を取り潰したのが諸藩の見せしめに成ったと思います😉 後、徳川(松平)忠長も…😅
もし漢(後漢)をする時に十常時のメンバー全員の解説を
リクエストします。
「巧言令色鮮し仁」のヨブ・鳥ューニヒト!
キター!!
やっぱり、戦国七雄の価値観・気風が残っていたのかもしれないですね。
ただ、呉楚七国の乱が平定されて良かった。
これよりもっと酷い「八王の乱」がありますからね。
鳥ューニヒトの提供なら反乱が起こっても仕方がないな!っていうか、運が良かった司馬一族が立てたのが漢王朝みたい
欒布がこの当時もまだ健在だったことに驚き。彭越の粛正から既に40年以上経っているぞ
劉氏以外の有力諸王が高祖恵帝期にあらかた滅んで呉楚七国の乱で厄介な劉氏王も消えたのは漢帝国にとっては好事ではあった
前漢絶頂期である武帝治世への流れは確定的に
でも、任地を発展させよう富ませようと言うモチベーションが上がらない郡県制よりも、郡国制の方が良い…という意見もあったような。
劉邦が単体の動画で出てきてないのにもうこの時代まで来てますね…
諸侯王を削減する場合は1番大きな勢力から削ろうという教訓が得られました。
後の明王朝の靖難の変の時も諸侯王の中で1番強力な燕王を放置してしまったが為に負けてしまった。
@GF8EWRX 所詮温室育ちの嫡皇孫というだけのお坊ちゃんだった。
跡継ぎに孫を選んだり、孫の器量に期待した王朝は必ずと言っていいほど内乱や外戚の禍で混乱しますよね…。
明の場合は永楽帝を跡継ぎにして洪武帝の名で「甥の家の者を死罪にしてはならない」という内容の金書鉄券を出しておけばまだ良い結果に終わったのかも知れません。
動画ありがとうございます。
古代の時代は例外なく暴力でことを解決するというケースが多いですよね。近代もそういう時代ですけど、古代は別の意味でそうした状況かと。
しかし、景帝がたかがゲームで劉賢を殺してしまうというのはすごい話です。古代でか酒に酔っていたとはとは言え。
まぁ葉隠にも囲碁してたら殺し合いになったみたいな話ありますしね…
@@matukawatositane ほう、葉隠にですか。時代は近世だからそれは相当すごい話ですね。
ただ、処罰なり処分はそれなりにされたのですか?
酒に酔っていたでは済まされませんよね😨
現在でもゲームが原因でリアルファイトって割とあるし、血の気が多かった時代ならそこまで異常でもないかと
@@fox37812 様
桃鉄…🤭
呉楚の反乱軍が睢陽攻略に拘った理由として
秦末から楚漢戦争期では攻城戦が起きる度に落城していた為、半世紀経っても容易に落とせると判断した事。
つまり、呉王劉濞は楚漢戦争の常識で反乱を指揮していました。
(彭越が項羽相手にゲリラ戦を仕掛けて成功したのは、昌邑や睢陽が秦の時代に城壁が壊されており、項羽に攻め落とされても項羽が居なくなれば容易に取り戻せた)
楚漢戦争に勝利した劉邦は城壁を修復して防備を固め、王朝を守る藩屏として皇族を王として各地に配備しました。
秦の強固なれど極端な中央集権体制を見直し、柔軟で強力なものに改造しています。
また、反乱軍を迎え撃った周亜夫は洛陽の侠客、劇孟と会った時 反乱軍が劇孟と連絡を取っていないと知ると安堵する一方で反乱軍の戦略のお粗末さを嘲笑しています。
劉濞…内政は抜群に優秀だけど戦争となると大局観がビックリするほどなかったのね。
ハッ!!もしや…!中央集権を進めるために自ら犠牲になって…。みたいな妄想をしてしまったw
劉氏が天下が統一した後も争いに次ぐ争いで忙しいですね
次はとうとうあの武帝の時代なので楽しみです。
武帝時代の動画は既に挙げられていますよ。
欒布も、息子の欒賁の代で爵位を取り上げられてますね。
地方統治制度の王朝による違いが興味深かった
時代的に今ほど多くは居なかったが、男性のほとんどが出ていたという
銀河英雄伝説
晁錯は有能でしたが、処世術が
駄目でしたね、足元を救われて
自身を滅ぼしてしまった。
法を厳格にするのは正しい事では
あるが、でもある程度の加減は必
要ですからね。
それを理解出来ずに結局処刑されて
しまった。
楽しみ
武帝末期に起こった巫蠱の獄もやるのですか。
反乱を起こすもやはり器では無いと言う事ですね。
晁錯の処刑は、反乱軍の大義名分を潰すことにはなったので、心理的には意義のある行動だったと思います。
切り捨てられる方からすれば、理不尽な話ですが。
この反乱を早期に鎮圧できたのが、秦や西晋との差なんですかね。
鎮圧に失敗して統一王朝は衰退、反乱軍も内紛で分裂してそのうち劉氏以外の有象無象も現れて乱世に突入とか、普通にありそうなシナリオですし。
あと鳥人間ネタですがヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダーというスペインの戦列艦がまだ出ていない気がしますので推挙します。
「はえ~漢王朝は身内同士で争って大変やったんやなぁ。まぁ、朕の明王朝はそんな反乱とは無縁やろうし大丈夫やろなぁ」
さすが陛下,陛下の築いた道は高僧のように光輝いておりまする
トリューニヒト。生き延びてしまったほうが、いろいろ考えさせられる傑作になった、んじゃないかなあ。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている
六博をしていたら劉賢が卑怯なインチキをしたので眉間に盤を叩きつけてやった
眉間から血を流して動かなくなったので「お前が悪いのだ!」と言って逃げた
夏目漱石の坊っちゃんで草
些少ですが、お納めください。
ご支援まことにありがとうございます……!
大変励みになります……!!
なまじ20万もの大軍を動員してしまった上に、一つの戦場に集中したばかりに兵站の負担が重すぎた。そこにファビアン戦術がぶっ刺さる。
今回のお話の教訓:嗚呼危き哉、栄達への道。
呉楚七国の乱がもし成功していたら、きっと八王の乱であっけなく滅んだ晋王朝みたいに漢もなってて、五胡十六国時代みたいになっていたかもしれない、そうなると司馬遷の史記も生まれなかったという事を考えると、この反乱が失敗して良かった、と思いますね。
呉楚七国側の戦略がまずかったのはまともな実戦経験のある将帥や兵卒が殆どいなかったのも大きいんだろうな
晁錯 は諸侯王だけではなく朝臣達にも憎まれており、処刑したことで反乱を納めることはできなかったものの、参加者が増えるのを食い止める効果はあったといわれています。
鳥人間さんはヨブ・トリューニヒトだったのか…
内容と関係無いですが、旧版のトリューニヒトを出されるとはup主さんも渋いチョイスされますね(笑)
呉楚七国の乱は中国史ファン歴の浅い自分からするとまだまだ難解であります。
ただ今後、このわけわからん状態を多角的に捕らえ、理解が深まっていく楽しみがある…と思うのです!
やっぱり、劉邦や朱元璋のような初代で能力が高い皇帝でない限り皇帝を支える優秀な官吏がいるよね。科挙やる理由がわかった😃
ゲームで負けそうになると現代では回線切断。漢代は相手を殺す。負ける側がやることは2000年たっても変わらないですね(!?)
ご支援ありがとうございます!!
怒りをコントロールすることは人間にとっての永遠の課題なのかもしれませんね!
捉え方によっては、景帝って何というか、「ババ」を引かされた感じがあります。勿論、若かりし頃の劉啓坊ちゃんが、呉の太子(劉賢)をつまらない理由で死に至らしめた事も遠因ですが、強大過ぎる諸侯國に対し、先代の文帝は結果として、いわば「先延ばし」にしてしまった感がありました。(文帝自身も諸侯國の一つ「代王」の出身)
チョウソのやり方には問題はありましたが、これは全て景帝の承諾を得てからやった事でもありますし………(日本で言えば、室町幕府における守護大名みたいなもので、足利義教の殺害後、収拾がつかなくなった事を考えると、間違いとは言いきれませんな)
中央集権に最適な官吏の集め方が科挙というわけですね。
トリューニヒト人間、だと……。
私、こちらのチャンネル大好きなのにぃ
呉王の世子を撲さつしたり周亜父に嫌がらせしたり、結局景帝も昏君武帝同様に、文帝の遺産を食いつぶしただけの暗君と思わざるを得ない。
そうかな?呉楚七国の乱を起こしてしまったとはいえ結果的に中央集権進むことになったし皇帝権力も強化されたから暗君ってほどではないと思う
巧言麗色ヨブ:鳥ューニヒト出てきたら、広告、銀英伝でしたわ😆
昔の政治のシステム上その国のトップが怖いのは、外敵よりも身内の方が
厄介なんだよね・・・。
血を分けた兄弟でも権力争いが絡むと高確率で・・・。
帝位継承の正統性を持っていたりするからね。〈血を分けた兄弟
漢王朝初期の中央集権化が無ければ
統一中華王朝という概念が無く、ヨーロッパみたいに諸国が割拠したまま現代に突入したんだろうな
ヨブ・トリューニヒト…自らの福利厚生の為なら、まともな判断すら厭わない恐ろしい男…!
欒布は前145年に亡くなった見たいですが友人の彭越の処刑から51年も経ってるんですね
そう考えるとこの人は前漢の建国時辺りで名前残ってる人達の中でも一際若かったのかな
仮に彭越処刑時点で30前後だとしたら没年は80くらいですが70代で呉楚七国の乱鎮圧の軍率いるのはなかなか無理あるような
「今日の皇帝明日の乞食年が明ければ儂の番」by孫悟空(岩波文庫版)
中央の家臣団の末路を見てると、中央集権が安定したから思いっきり内部で権力闘争できるようになったんかな(笑)って印象。
ランフとか言う良心
中国を史上初めて統一したのが始皇帝、中国の統一を史上初めて定着させたのが景帝というわけね(乱の原因も景帝だけど)。
郡国制って日本でいう徳川幕藩体制なんだけど
中国が古代で捨てたこの中途半端な体制でも近世の時代に300年余りやれたのは
やはり外敵を防ぐ海の存在は大きいという事なんでしょうね
それと仮想敵と味方の配置の妙と、何かあったらすぐにお取りつぶしという各個撃破のお陰かな?
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この辺りの弱体化策も上手く働いたのもありますね
ただ幕末期西洋諸国の海軍力が強大になった事で海
という自然の要害が意味を成さなくなると開国から僅か15年余りで幕府が滅亡してるので
やはり幕藩体制は領土の四方を囲む海あってこその体制だったと思います
今、私がここに書き込んでいると言うことは、ビールを片手に休日ということです。
さあ楽しい楽しい中国史の時間ですよ!
八王の乱みたいな大乱よく乗り切れたと
目がはなせない。
呉楚七国の乱は皇帝と諸侯王とのはっきりした戦いだったんですが
司○氏の八○の乱みたいに泥沼にならずに済んで良かったですね^^
さすがは景帝へ後の事を考えてアドバイスをした文帝と聞き入れた景帝はやはり名君ですね。
中国史のチャンネル見ててトリューニヒトの名前が出てくるとは…
僕なりに「とり」を考えました。(被ってたらすみません。)
トリタン棒
イットリウム
トリアー
インベントリ
国盗物語
トリックルーム
std::string
服部半蔵
トリケラトプス
アントリオン
追加です。
サントリープレミアムモルツ
取り敢えず生で
水酸化ナトリウム
ちりとり
トリポリ
漢の身内の内乱は何とか抑えたけど、晋の司馬一族は外国勢力を入れたからねぇ・・
ほぉ~(゜ロ゜)💨かなりのデカイ反乱でしたね( ゚ロ゚)!!でも、3ヶ月で鎮圧されるとは( ゚д゚)ポカーン
そら董卓が出て来たり曹操が出て来て実感握るわ。
三国志の勝者司馬懿や司馬炎は、過去から学ばなかったのか?あるいは、学んでも人の業は変わらず歴史は、繰り返す運命なのか。悲しいなぁ〜。
なるほど、本当に劉氏対劉氏の身内の争いだったんですね。てっきり呉と楚の反乱に乗っかったのかと思ってました。結局劉氏が倒されて、劉氏だけが得をしたという、功臣皆殺しの始まりだったとは。やっぱり中華史はスケールがでかい。
この時の中山靖王はどうだったのでしょう(笑)
睡陽、上州上田城かよ。
中国史は良くも悪くも、同じ様な大きな戦いを繰り返すますね。関中の強国である秦と他の列国との戦い、関中をを拠点にした漢と項羽の楚漢戦争、そして今回の呉楚七国の乱。そして明の建文帝と叔父の燕王朱棣との靖難の変。二十世紀の毛沢東と蒋介石の戦いもそうですね。戦国の七雄が、二大英雄が、朝廷と諸侯王が、中華の覇権と皇帝の地位を巡って何年も続く大戦争を起こす。今回の呉楚七国の乱は戦略的にも戦術的にも、あまりにも稚拙で本当に勢いで反乱を起こし、大した戦略も無く攻めて行っただけ。せめて桓将軍の戦略を採用して置けば、わずか3ヶ月で鎮圧されるという事にもならなかったですね。この時代からずっと後の明時代の靖難の変での燕王朱棣はさすがでしたね。明の朝廷側の方が兵士の数でも圧倒的に有利で燕王側の方が断然不利なのに勝利してしまうんですから。戦争はやっぱりトップの器で決まるんですね。呉楚七国の乱では、部下の将軍が、せっかく素晴らしい献策をしてくれたのに採用しない。もうここで呉王劉濞は終わってますね。そして漢の朝廷の鎮圧軍が戦略的にも戦術的にも軍隊の練度でも、最高のプロと平凡なアマくらいの差がありましたね。攻めなくてもいい城郭都市を攻め続け、その間に軍隊のライフラインである糧道を絶たれて、自滅する。やっぱり「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」と言ったビスマルクの言葉がグサグサ刺さった呉楚七国の乱でした。
鳥人間=ヨブ!?(敬称略)
景帝は徳が文帝に遥かに及ばない。景帝が名君との歴史的評価を守れた理由は、立派な父と優秀な息子の両方がいたからです。
ほんと劉備なのか魏延の反骨相もってるのかわかんねえな劉濞